神戸家庭裁判所 昭和38年(少)17号 決定 1963年1月30日
少年 H(昭二〇・一一・一八生)
主文
少年を医療少年院に送致する。
理由
非行事実及び適用法令
少年は、兄Kに附き添われ精神病院の大阪府立中宮病院を出て帰郷の途中逃げ出して昭和三七年一二月二八日国鉄三宮駅に下車するに至つたものであるが別紙添付犯罪一覧表のとおりの窃盗(番号一)重過失傷害並びに道路交通法違反(番号二~一八)の行為をしたものであり窃盗は刑法第二三五条に該る、そして自動車運転における重過失傷害は刑法第二一一条に、無資格運転は道路交通法第一一八条一項一号第六四条に、交通事故の場合の措置をとらなかつたことは同法第一一七条第七二条一項前段に、いわゆる安全運転の義務違反は同法第一一九条一項九号第七〇条に、それぞれ該るものである。
処遇意見
添付の本件社会記録をここに引用する。但し下記のとおり一部補正するものとする。
上記々録のとおり少年には一応精神分裂病の疑がもたれるし本件非行がその発作時のものであるように思われる。ところで保護者らにその治療と監護を期待できないような情況でもあることも併せ考えると医療少年院に収容して精密なる心神の検査と治療及び引き続き必要なる訓練をする要があるものと思料される。
よつて少年法第二四条一項三号少年審判規則第三七条一項に則り主文のとおり決定する。
(裁判官 太田元)
別紙
少年H犯罪一覧表
進行
番号
罪別
犯罪月日
時及場所
被害者
住所氏名
被害金品並
傷害部位
金額
治療日数
犯罪事実の概要
一
窃盗
昭和三七年一二月二八日午後三時三二分
神戸市葺合区雲井通八丁公有地
神戸市葺合区旭通五丁目国鉄高架二八六
○川○治
六二年プリモス普通乗用車
兵三あ〇四三二
三〇〇万円
上記日時場所において少年は該自動車を窃取し何等運転の資格も持たないで運転をなし同場所より阪神国道を東へ疾送し逃走したるもの
二
重過失傷害並びに道路交通法違反
昭和三七年一二月二八日午後三時三五分
神戸市葺合区脇浜町三丁目四六
春日野道交叉点
神戸市葺合区南
本町三丁目
○野○子
賢損傷の疑、左腰部挫傷左大腿膝擦過創顔面挫傷擦過創
二週間
少年は無免許運転を継続し停止信号無視で進行し安全運転を怠りたるため同所を通行中の被害者に接触したものでありその間重大なる過失もあるものであるばかりでなく事故の場合の措置もとらなかつた
三
同右
同右
神戸市葺合区南本町五丁目一七
山○○子
四肢挫創顔面挫創右撓骨遠位端骨折左肩胛骨上腕骨折
五週間
同右
四
同右
同右
神戸市生田区三宮町一丁目一七
○崎○子
顔面頤部挫創恥骨々折
上顎門歯脱落
四週間
同右
五
重過失傷害並びに道路交通法違反
昭和三七年一二月二八日午後三時三五分
神戸市葺合区脇浜町三丁目四六
春日野道交叉点
三木市志染町広岡
○川○一
両側下腿及顔面擦過創
五日間
少年は無免許運転を継続し停止信号無視で進行し安全運転を怠りたるため同所を通行中の被害者に接触したものでありその間重大なる過失もあるものであるばかりでなく事故の場合の措置もとらなかつた
六
同右
同右
神戸市生田区下山手通六丁目六五
高○○恭
六兵あ七三七九軽四貨
左ドア破損
五千円
同様状況の下で同所を右折中に接触したばかりでなく事故の場合の措置をとらなかつた
七
同右
同右
神戸市兵庫区雪御所町五
○内○郎
後頭部挫創
二日間
経過観察中
同右
八
道路交通法違反
昭和三七年一二月二八日午後三時三八分
神戸市葺合区脇浜町二丁目四一番地
神戸市長田区林山町一一二二
○上○
兵五あ八三五五普通乗用車
後部フエンダー破損
五千円
無免許信号無視のまま逃走を継続し左記場所を右折中の被害車両に接触したばかりでなく事故の場合の措置をとらなかつた
九
重過失傷害並びに道路交通法違反
同右
神戸市灘区灘北通五丁目六
安○貴○
兵む五一四一
軽三貨
前部大破
右膝部擦過創
五万円
五日間
同右、なお重過失もあり事故の場合の措置もとらなかつた
(被害車両の運転者)
一〇
道路交通法違反
同右
神戸市兵庫区笠松通七丁目三一
○川○郎
兵四せ二六七七
普通貨物
左後部破損
右ドア部破曲損
一〇万円
右接触後その反動で北側緩行車道に進入し駐車中の被害車両に接触したばかりでなく事故の場合の措置をとらなかつた
一一
同右
同右
神戸市葺合区八
雲通四丁目四八
○木○明
葺七二五
原付二種
後部フエンダ─
曲損
一、〇〇〇円
同右
一二
同前
同前
神戸市葺合区国香通五丁目四
○田○一
兵四そ二一七九
普通貨物
左ボデー破損
一四、五〇〇円
同前
一三
同右
昭和三七年一二月二八日午後三時四〇分頃神戸市灘区船寺通五丁目六番地先
西宮市今津水波町一九三
小○博○
兵五す七四二二号
普通乗用自動車
左後部大破
一三〇、五五〇円
少年は上記日時場所において前方注視を怠り道路左側に駐車中の被害車両に自己の運転しある普通乗用自動車前部を衝突せしめたばかりでなく事故の場合の措置をとらなかつた
一四
同右
日時同右
神戸市灘区船寺通五丁目二五番地先
神戸市垂水区平野町繁田四六四一四
○岡○治
兵八あ〇三〇五号
特殊自動車
タンクローリー
右前フエンダー右前輪接触
一、〇〇〇円
前記同様状況下において接触せるも事故の場合の措置をとらなかつた
一五
同右
日時同右
神戸市灘区船寺通五丁目二六番地先
神戸市兵庫区須佐野通四丁目二三
○村○
兵四す一四四五号
普通貨物自動車
右前フエンダー右ドア曲損
三、〇〇〇円
前記同様状況下において接触せるも事故の場合の措置をとらなかつた
一六
同右
日時同右
神戸市灘区船寺通五丁目三二番地先
神戸市兵庫区東山町二丁目三二八
○志○
兵五そ三八〇八号
普通乗用自動車
右前バンバー
フエンダー、ドア曲損
八、八〇〇円
少年は上記日時場所において前方注視を怠り前方西進中の被害車両が左に避譲して停車したるに自己の運転しある普通乗用自動車左側部を衝突せしめたるも事故の場合の措置をとらなかつた
一七
重過失傷害並びに道路交通法違反
昭和三七年一二月二八日午後三時四三分ごろ
神戸市灘区王子町四丁目四八四番地先
神戸市灘区宮山町三丁目六一一
○泉○
頭部外傷II型(脳震盪型)左肩胛部左下腿外顆部打撲擦過傷
一週間
少年は上記日時場所において前方注視を怠り折柄進路前方にあたる道路左端を自転車に乗つて西進中の被害者に自己の運転しある普通乗用自動車の前部を追突左記傷害を与えたるもので重大な過失もある、また事故の場合の措置をとらなかつた
一八
道路交通法違反
昭和三七年一二月二八日午後三時四五分ごろ
神戸市葺合区坂口通七丁目一番地先
神戸市葺合区坂口通七丁目一
山手食品株式会社
○藤○郎
兵八す一八六六号
特種自動車
ライトバン宣伝車
右後輪部ボデー曲損
一五、〇〇〇円
少年は逮捕をのがれんとして逃走を続けていたが灘署司法巡査御庄乙彦が発射したけん銃弾によつて車輪を射ち抜かれパンクして操縦の自由を失い道路左端に駐車中の被害車両に自己の運転しある普通乗用自動車の左前部を衝突させて停止したもの
参考一
供述調書
住居 大阪府枚方市大字禁野六七四番地
職業 医師(府立中宮病院医務局長)
氏名 浜義雄
大正三年二月十日生
右の者は、昭和三七年一二月二九日大阪府枚方市大字禁野天日合併地無番地大阪府立中宮病院において、本職に対し、任意次のとおり供述した。
一、私は昭和一二年三月大阪帝国大学医学部を卒業し、すぐ現在の大阪府立中宮病院に奉職、爾来約二五年に及び本年四月から医務局長として勤務している医師です。
この病院は、精神病院で大部分が府知事の措置で入る患者さんであり現在六四〇人程入院患者があります。
二、本日Hという患者のことでお尋ねを受けまして、その人を私が診察した事実があるのでくわしく申します。
三、ここに当病院の病状日誌(H殿分)一冊がありますので、この人の記録はこれに書いてありますからこれを見ながら申します。
四、この患者の病状日誌の表紙には
同意一四九号病状日誌番号五〇一三号H殿、入院昭和三七年一二月二五日退院同年一二月二七日軽快などと書いてあります。
五、次の遺伝記欄によると父S明33生
母T子 父より七つ年下
同胞は 本人は一番末つ子第七子
であり第一子は長兄 三五歳 技師
第二子 男 二九歳 海上自衛隊勤務
無線技師 K
第三子 男 二六歳 熊本在住自衛隊員
第四子 男 七歳のとき終戦時分赤痢で死亡
第五子 女I子 二二歳 事務員として父の許にいる
第六子 女 一九歳 学校職員として父の許にいる
第七子がH本人である
従つて家族は父母と兄一人姉二人がいる事になつています。
六、入院患者指示箋欄によると
病名 精神分裂症 別館という保護室収容、
看護上特に注意すべき事項としては、暴行のおそれあり衝動的に殴打してくるおそれがある
措置の指示は、経過観察の上指定する
等と記載してあります。
七、外来診察録には自費入院、初診37、12、25病名精神分裂病、現病の原因及び経過欄、昭和三七年一二月二三日午前八時ごろ枚方市大字、京阪国道一号線路上にて名古屋市中川区来越町二の一八自動車運転手三〇〇男四六歳が大阪方面に向け自動車で通行中前方道路中央を素足で歩行している少年を発見危険を感じて停車したところ自動車前部に飛び上り何かわめきちらすので精神病者と判断、自動車にのせ枚方署に来り保護方を届出た旨であり、枚方署で取調べたところ「アメリカへ行くんだ」など瞹昧なことをいい要領を得ず、三〇氏に殴りかけたり、あばれるため、警職法第三条第一号により枚方署に保護、保護中も留置場内で大便をいじくつたりしたという。所持金は三、一〇〇円ほかに糞便によごれたトレパンなどをもつていた旨である。
枚方署にて調査の結果京都市中京区西ノ京内畑町、小谷製材所で働いていたが一二月二二日急に本籍地鹿児島県日置郡市来町日の出三一二六番地S方に帰るといい、退職してしまつたという。
その同製材所では人とややちがつた点が見られる程度で、性格はおとなしく真面目であつたという。
八、診断欄にはH
本籍 前同
住所 前同 S方
診断は前同のとおりと書いてあります。
九、発病前後の症状及び経過欄の記載は前に同じ。
十、精神的現在所見欄には
寝ころぶ、不行儀、全身すこし衰弱している
「ボクシングの試合をする、それから国に帰る」
「ウエルター級の選手」「ライト級」と話が支離滅裂である
「ここはどこか」ときくと「福岡県」という
「大阪で仕事をさがして、それから試合をやる」
等場所の判断も不確実である、誇大妄想が認められる旨記載してあります。
十一 、経過欄には昭和三七年一二月二六日カクテリン(薬名)、(精神安定剤)五〇ミリグラム朝夕注射一筒づつ、昭和三七年一二月二七日午前一〇時、起き上つている、開扉するとノソノソとはいだそうとする、緘黙する、仮面状の表情である、摂食せしめようとしても口を動かそうとしない拒食症状であり、昭和三七年一二月二七日午前一一時、院長(橋田賛医師)診察すると
眠むたいかと聞くと「うん」
飯食うたかと聞くと首を振る
「ねるさかい水だけ飲まして慾しい」という
「何故寝て許りいる」と聞くと答えず、注射したくないと小声で無気力で答える、非常に寡言である
家は何処やと聞くと「ここ」
ここは何処やと聞くと「留置場」と場所の判断つかず
国は何処かと言うと返事しない
水やろうかと言うとうなづく
立つてみよと言うとのろのろおき上る
同日実兄K(横須賀市西逸見町、横須賀通信隊無電室勤務)来院す、既往歴を聞くと次のとおり
中学校の成績普通、英語と数学少こし得意だつた。○○実業学校に一昨年入学したが二ヵ月位でいやになり不良仲間とつき合い授業料もつかいこむ、その後徒食、本年正月から伯父の家で(ここで育つた)病気の伯父に高圧的言い方をする。「おきて小便せよ」等ときつくあつかう、兄がそれで叱責したことあり。
伯父は本年五月死亡した、本人の性質は卑屈な卑怯なことばかりしてでたらめ、善悪の区別のつかんことをする。
喧嘩したり、ぐれん隊である。本年五月頃から姉の給料をとりあげたり無茶苦茶なことをして家の中に虎かライオンが住んでいるような存在となつた。
本年九月中ごろ毎日新聞配達員を紹介されて京都△△の配達所で働くようになつたが、仕事がすむとボクシングクラブを探がして廻り一週間して○○クラブというところをさがしあて配達所は無断で姿を消してしまつた。そのボクシングクラブは二条駅の近くで、となりに△△製材所というところがあるがそこへ九月下旬頃働かしてくれといつておとずれた、△△製材所の主人が保護司か何かで本人も希望していることだから自分が世話してやるといつたので、そこで働くことになつた。
その後私(兄)は本人とは逢うていないが、一二月はじめ「肺結核で一年間養生せねばならんことになつたからお前はしつかりやれ」と鞭韃の手紙を本人に出したことがあります。こういうことが本人を刺戟したのではないかと心配しております。」と申しのべた。
以上のことをききとり兄に面会せしむ。面会後主治医(供述人)に対して兄は「本人は△△が予想とリクツと違つた、それでいやになつて行くあてもなしにとび出した、はじめはここ位いいところがないと思うていたのに」などと云うていました。
私の考えでは本人の精神状態は普通ではないかというしただ体力がどうもついていない。くににかえりたいと云うているからお差支えがなければ退院さして戴いて宿屋で自分が体力の恢復するまでついていてやり、その足で故郷の万につれて帰りたい」と申されたので即日退院を許可した。退院の区別は軽快退院の旨記載してあります。
十二、看護人観察記録である個人日誌欄には、一二月二五日午後零時三〇分入院(9号室)昼食五分の四程度摂取しすぐ臥床三時頃診察の要求あり、その際室外に出ようとする種々説得すると泣いているだけで以後扉の前にうずくまつている(山本)
准夜(後4~11)夕食を拒絶す、紙屑を破つて長くよつて並べてある。六時頃より就床するも目を明け思考気味(北窪)
深夜(後11~前8)臥床せるも、頭を両手でかかえ思考盛んなりAM(午前)五時頃枕を破り扉窓依り廊下に投げつける、やや昂奮気味なり(杉葉)
二六日(前8~後4)泊夜は欠食、浜局長の指示により午前一〇時にカクテリンH五○MG一ヶ筋注其の後は良く眠る(昼食欠)(栗楢)
准夜臥床睡眠をつづけ夕食を摂取せずPM6時指示に依るカクテリンH五○MG1A筋注施行の際暫時覚醒するも布団を引直して臥床し再び睡眠す(岡田)
深夜睡眠が続き全然覚醒せず(松葉)
二七日中朦朧状態が続き院長診察される指示により水コツプ一杯飲み其の後も一杯飲む食慾不振にて三食共に拒食、PM零時一五分(実兄)の面会あり無言ながら果物摂取以後睡眠に入る(栗楢)
准夜PM五時実兄迎えに来館され六時一〇分退院す(松葉)
十三、以上のとおりの次第で、私の診断では、精神分裂症状を呈しており、精神衛生法による強制入院の必要を認められる状態でありましたので迎えに来た実兄にも半月乃至一ヵ月位入院させねば、つれて帰るのは無理なようですが、と申したが自費入院しか方法がないし、一日七百円位かかると申しますと、どうしてもつれて帰るというので私どもとしても、まさかこの度新聞、テレビで、Hのしでかした自動車の乱暴運転というようなことを、はつきりやるなどといいきれない状態だつたものですから引取つていただいた次第でありました。
Hの症状では、場所の判断力は殆んどないようで是非善悪の区別は私の診た限りではもつていないように思います。
ただ私共の病院に収容前、枚方署保護中精神衛生法により警察官通報を経て精神衛生鑑定を私の病院の医師ではないがある医師の方が実施しておりその結果では、同法による強制入院の必要なしただし入院医療を要する、ということであつたようで警察は、枚方福祉事務所と相談の上、当院に同意入院を求めて来たので入院させたものでした。
浜義雄
右のとおり録取し読み聞かせたところ誤りない事を申立て署名指印した。
前同日
兵庫県葺合警察署
司法警察員
警部補 米倉吉光
右筆記人
兵庫県葺合警察署
司法巡査 坂田鉄郎
参考二
調査嘱託回答書<省略>
参考三
調査報告書<省略>
参考四
鑑別結果通知書
神戸鑑第93号<省略>